2016年7月9日土曜日

キリシタン大名 マニラ(フィリピン)に追放された高山右近

バチカン(ローマ法王庁)は2016年1月22日、江戸幕府のキリスト教の禁教令で国外追放されたキリシタン大名、高山右近(1552~1615年)を最高の崇敬対象となる「聖人」に次ぐ「福者」に認定したと発表した。フランシスコ・ローマ法王が21日に承認した。

高山右近、「福者」認定=国外追放のキリシタン大名-バチカン 

キリシタン大名

キリシタン大名(キリシタンだいみょう、吉利支丹大名)は、戦国時代から江戸時代初期にかけてキリスト教に入信、洗礼を受けた大名のことである。


江戸時代に入り、1613年(慶長18年)には禁教令も出されたため、秀吉に改易されながらも最後まで棄教を拒んだ高山右近はマニラ(フィリピン)に追放され、有馬晴信は刑死し、以後キリシタン大名は存在しない。


彼らの領内にいた多数のキリシタンは、仏教に改宗するか、隠れキリシタンとなるか、劇的な例では旧有馬領で起こった島原の乱という大規模な一揆の際に殺害され、歴史の表舞台から消えていった。

マニラ(フィリピン)に追放された高山右近 

右近は現在の大阪府で生まれ、父の影響で12歳で洗礼を受けた。

慶長19年(1614年)、加賀で暮らしていた右近は、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、人々の引きとめる中、加賀を退去した。長崎から家族と共に追放された内藤如安らと共にマニラに送られる船に乗り、マニラに12月に到着した。イエズス会報告や宣教師の報告で有名となっていた右近はマニラでスペインの総督フアン・デ・シルバらから大歓迎を受けた。

しかし、船旅の疲れや慣れない気候のため老齢の右近はすぐに病を得て、翌年の1月8日(1615年2月4日)に息を引き取った。享年64。 

葬儀は総督の指示によってマニラ全市をあげてイントラムロスの中にあった聖アンナ教会で盛大に行われた。右近の死後家族は日本への帰国を許され、現在、石川県羽咋郡志賀町代田、福井県福井市、大分県大分市に直系子孫の3つの「高山家」がある。